· 

102 無料喫茶店の人々 53「今、『ただ(無料)』ということを考えています」

第1回無料喫茶店からバリスタを務めておられる川崎の Iさん。元小学校の先生で、退職後、店主と同じシステムの学習教室を主宰。空手の先生でもあります。

 10数年前の夏休みから毎年、川崎から京都までの東海道500キロを徒歩踏破。さらに東日本大震災後から1昨年まで、震災後を見届けようと東北の沿岸から出身地の福島近辺の徒歩旅行を続けてきました。店主も東海道の2年目から部分的に同行しながら、様々な体験をさせていただいてきました。

 I さんは無類のコーヒー好きで、学校の職員室でも無料でコーヒーを提供していたそうです。そんな話を聞いていた店主が、無料喫茶店を始める時に、I さんに協力をお願いすると快諾。毎回、朝の1時間だけですが自慢のコーヒー豆持参でバリスタをしていただいています。いわば無料喫茶店の産みの親のお一人です。ありがとうございます。I さんの感想です。

 

●今、「ただ」を考えている・・・というか感じようとしている。先日テレビで、何かのボランティア作業をやっている人が「利用者が気を遣わないように少額の料金をとっている。」と言っているのを見た。お金を介して余計な気遣いをなくすということかな。それはそれで納得できることなんだけど、なんかちょっと気にかかる。「ただ」って、けっこう身体の中で「気」が自然にまわってくるんだろうか。この「気遣い」ってけっこうおもしろいのかも。私がタダーズコーヒーでコーヒーを淹れる時は全然疲れない。そう身体の中を「気」が回っているんだろう。気遣いってけっこういいじゃん・・・そんなことを感じた。